〈香野広一のPoemサイト 〉
……………………《虎落笛 1・2 》……………………
水の掟
川の流れはいつも同じ仕種で
空と対峙しながら
季節と世相を投影している
ぼくはあきることもなく
水面の動作を見詰めていると
釘付けになってしまう
水底にうずくまっている
まろやかな大きな石は
流れを屈折させようとして
昼夜を問わず
抵抗を続けている
ぼくに付着してしまった汚点(しみ)は
どんなにもがき続けても
洗い流すことができない
だから頭を抱えながら
先の見えない迷路を
歩み続けなければならない
世の中の動向はいつも混沌としていて
未来への道しるべが喪失している
深い水底をさまようように
視界がにごってしまって
前途を 見通すことができない
蛇行の続く川の水は 人々の組織のように
いつも決められたコースを
辿らなければならない
それが突然 堤防を破壊して
濁流に変貌することは
絶対に慎まなければならない
常に おだやかな水流となって
滔々と流れ続けなければならない
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天空を舞う
さわやかな風が
芽吹きだした樹々に
とどまることもなく
たわむれている
田畑の周辺を
俯瞰していた雲は
移動する度に
季節が移ろっている
五月の空の一画で
はつらつとした風が
夢想しながら
葉桜の上空を飛翔している
風を咥えた鯉幟は
空の片隅で
陽が傾きだしたことも知らずに
はしゃぎ回っている
子供たちの歓声を
呑み込んだ鯉幟は
天空の渕で
耳をそばだてながら
横たわっている
ぼくが 幼い頃の鯉幟は
戦争の最中(さなか)で
外で泳ぎまわることができなかった
だからタンスの窮屈なところで
大きな目玉だけが
うらやましそうにしながら
ぼくを
にらんでいた
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水底の伝言
川の水は数珠つなぎになりながら
下流の方まで蛇行している
何万年も前から
とぎれることもなく
浮遊している水は
海の方まで連なっている
四角ばっていた岩石は
永い歳月を
噛み砕きながら
丸みを帯びてきた
なめらかに変貌した小石は
川床を占有したまま
水の行方を見詰めている
世相を投影している川面には
あまたの過去が
濾過されて
波紋だけが行き来している
そして水底に沈殿している
悲哀と憤怒が
へばりついていて
護岸の縁で
もがき続けている
激しい戦禍で犠牲になった
亡骸は
誰れにも祈祷されることもなく
川床の片隅で
さまよっている
悲惨な苦しみ遭遇した
霊魂だけが
水底の暗いヘドロの中で
とぐろを巻いている
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廃屋
巨木の枝が
天空の方まで広がっていて
陽光の届かない道が
鎮守の森まで続いている
湿った石畳の上を
のんびりと歩いてゆくと
朽ち果てた神社に遭遇する
屋根や壁が崩れ落ちてしまって
傾斜した社が
痛々しそうに耐え忍んでいる
しずかに近寄って覗き込むと
ぶ厚い闇が張り付いていて
中の様子を遮断している
近くに点在している家々にも
人の姿はなく
壊れた板戸の隙間から
さびついた風が
行き来している
庭の敷地に
形見のように取り残された
樹木や草花たちが
華やいでいて
色とりどりの花の競演が
くり広げられている
永く住み着いていた人達の面影が
喪失してしまって
呼び戻すことができない
所どころが穴洞になった記憶と
傷んだ家の骨組だけが
残像のように
むきだしになっている
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