〈香野広一のPoemサイト 〉
……………………《虎落笛・1・2 》……………………
「虎落笛(もがりぶえ)」
2022年11月20日発行
土曜美術社出版販売
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この詩集に樹木に関わる作品が多いのは、作者が、樹木の神秘的な魅力と、
その力強い生命力に自分のエスプリを重ねているからであろう。けれど、それ
はたんなる追憶や感傷ではない。激しくゆれ動き、推移していく時代を、
作者は樹木をとおして書いているのだ。(帯文、抄)
中原道夫
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虎落笛(もがりぶえ)
やわらかな日射しを受けて
突び出してきた竹の子が
周辺の視界を覗き込み
一直線に節々を継ぎ足してゆく
それは新しい竹が古い竹の領域を
占有しようと
しきりにもがき続け
わずかな隙間にも
子孫を繁栄させようとする
強烈な戦い
冬の月明かりの晩にも
竹がきの向こう側は
真っ暗闇で何も見えない
強い北風が吹き抜ける度に
獣のような不気味な声
ぼくは 恐ろしくなって
必死になって逃げだした
あれから六十年
竹やぶは跡形もなく
消えてしまい
家と家とが犇めくように
林立していて
心の奥にへばりついていた虎落笛は
聞こえることもなく
そこに住む家族たちの談笑だけが
僕の耳に こだましていた
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老木
すべてを削ぎ落としてしまって
あらゆるものから解放された
老木は
しずかに空に凭れている姿は
骨董品のように
品格を保っている
周辺の樹木たちは
緑の葉を
幾重にも積み重ねて
季節の芽吹きと
華やかさを
誇示しながら
年ごとに成長をしている
私は世の中の狭間で
奇跡という
得体の知れないものに
先導されながら
生き永らえてきた
だけど いまだになじむことのない
世相の慣習の重圧に
とまどっている
多くの人達との
出会いと別れを
繰り返しながら
生かされてきた
老体のぼくは
あまたのしがらみから
脱皮して
不器用な魂を
晒し続けている
吹雪がようしゃなく
老木に突進している真冬に
北風が通過する度に
朽ち果てた節穴から
昔年の寂しさと苦悩が
悲鳴となって
真白な視界を
滑走している
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樹木の嘆き
樹木に寄り添っている雨が
強靱な根っ子に
しずかに吸収されている
天空からの突然の恵みに
地表が浮き足立ちながら
ことばを交そうとしている
秋を告げようとしている樹々から
枯葉が落下して
地面が慌しく動きまわっている
裸木の根元には
膨大な時間が蓄積されて
厳しい冬と対峙しようとしている
樹木は数百年間も
寡黙のまま立ち続けている
おびただしく変貌する世相にも
臆することもなく
毅然とした姿勢で
宙(そら)の方を覗き込んでいる
人々は忙(せわ)しそうにしながら
いつもの道路を往復しているだけで
樹木の嘆きを
察知することができない
人々が群がっている都会の喧騒で
磨り減ってしまった魂を
たたみ込んだまま
うごめき合っている
世の中の不条理を呑み込みながら
肥え太ったのか
威風堂々とした樹木が
大地に根を張り巡らせながら
しっこくの闇をむさぼっている
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積雪
雪はとぎれることもなく
降り続いていて
蒼白な視界が
どこまでも広がっている
体力の衰えてしまった老女は
部屋の片隅にうずくまりながら
雪がなだれ込んでいる音に
耳をそばだてている
日々は休むことなく継続していて
漆黒の闇の部屋には
困窮と苦悩が同居している
そして誰も訪ねてくることのない家で
永くて厳しかった人生を
反芻している
空を震撼させた 雪は
昼夜を問わず無言のまま
地上に積み上げられている
やがて家が包囲されてしまった
空間で
老女は言葉と気力を失ったまま
呆然としている
真っ白く変貌してしまった野外では
鳥や獣たちの声も
途絶えてしまって
雪を投げ込んでいる風だけが
唸りをあげている
冬は遠ざかったまま
山里に居座っていて
春はいまだに 近づこうとする
気配は ない
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