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……………………《詩誌「ちぎれ雲」第4号より 》……………………


 

歩行

ぼくが 初めて歩き出した時
母は 両手を差し出そうとすると
涙で輪郭が霞んでしまった
抱擁しようとする震える手で
ぼくの初々しい体を
母の胸元に抱きしめた

それからの歩みは
どこかに置き忘れてしまって
繋がらないことが多い
それでも時々 色あせた想い出が
突然現れて
過去の方へ引き戻されてしまう

八十五年間も生き永らえていると
いろんな想い出が混じり合って
夢か現(うつつ)の境界でさえ
見分けがつかない
理不尽で混沌とした世の中を
幾つもくぐり抜けてきたのに
いまだに悲惨な道しるべが
待機している

幼子(おさなご)のようにヨチヨチ歩きで
買物に出掛けても
人混みと自動車に
接触しそうになる
そんな時でも命の糧となる食品を
懸命に買いあさる

独り生活(くらし)の日々は
昨日から今日に
移動したことでさえ
判別がつかなくなって
永い人生をノロノロと歩み続けている

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