〈香野広一のPoemサイト 〉
〈Index Poem 〉
……………………《詩誌「ちぎれ雲」第5号より 》……………
樹々たちの道のり
芽ばえたばかりの
樹々たちが
春の陽射しを
樹の節々に受け止めながら
しずかに佇んでいる
季節の移ろいに
心をときめかせていた人たちが
今でも 色あせることもなく
天空まで伸びきった樹々に
羨望の眼差しを
注ぎ込んでいる
数百年という永い歳月を
棒立ちのままで
世相の変遷に
驚愕している
風の便りを
枝の葉先にちりばめて
人々の隘路の道のりを俯瞰している
あまたの夢を
紡いできた人たちが
樹々の生き生きとした姿に
憧憬しながら
巨木の強靭な根方に
貧弱な魂が吸い寄せられている
人々が苦楽を享受しながら
樹々の下を
往復していたのに
現在(いま)は 高速道路に
変貌してしまって
車の行列だけが
どこまでも連なっている
………………《詩誌「ちぎれ雲」第4号より 》……………
歩行
ぼくが 初めて歩き出した時
母は 両手を差し出そうとすると
涙で輪郭が霞んでしまった
抱擁しようとする震える手で
ぼくの初々しい体を
母の胸元に抱きしめた
それからの歩みは
どこかに置き忘れてしまって
繋がらないことが多い
それでも時々 色あせた想い出が
突然現れて
過去の方へ引き戻されてしまう
八十五年間も生き永らえていると
いろんな想い出が混じり合って
夢か現(うつつ)の境界でさえ
見分けがつかない
理不尽で混沌とした世の中を
幾つもくぐり抜けてきたのに
いまだに悲惨な道しるべが
待機している
幼子(おさなご)のようにヨチヨチ歩きで
買物に出掛けても
人混みと自動車に
接触しそうになる
そんな時でも命の糧となる食品を
懸命に買いあさる
独り生活(くらし)の日々は
昨日から今日に
移動したことでさえ
判別がつかなくなって
永い人生をノロノロと歩み続けている
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